長承寺のだんじりは「菊水だんじり」といって腰まわり、屋根まわりなど主要な彫り物は太平記で統一されています。
腰回りは、右は新田義貞、左は楠木正成、正面は北畠顕家の武勇伝になってるんです。

彫り物担当の奥淳さんによると、彫り物の打ち合わせの会議で「左の土呂幕(湊川大合戦 土呂幕)には、武将三人バーンといってや!」と依頼したそうです。

そこで職人魂闘志に火がついた前田師匠!通常土呂幕には主要二体が多いのですが、どうしても、三体入れてやる!と苦労を重ねて出来上がった構図。
それを見た長承寺の人たちは大感動だったそうです。

左から、楠木正成、南江備前守正忠、足利尊氏です。

楠木正成 湊川大合戦

南北朝時代の建武三年 (1336)5月25日 に摂津国湊川 で九州から東上して来た足利尊氏・足利直義兄弟らの軍と、これを迎え撃った後醍醐天皇方の 楠木正成・新田義貞の軍との間で行われた合戦。
足利軍50万
新田軍総勢1万人・楠木軍は700余騎
新田軍は和田岬に、楠木軍は会下山に陣をはり、足利軍は三方より上陸して楠木・新田軍を分断し、新田軍を敗走。

足利軍に囲まれた楠木軍は足利軍に突撃をし大軍を蹴散らして、須磨、上野まで退却させました。

6時間の合戦の末、正成と正季は敵軍に16度の突撃を行い、楠木軍は次第に数を減らし、ついに73騎になっていました。

そして…疲幣した彼らは湊川の東にある民家に駆け込み自害したのです。