先日利晶の杜で観光ボランティア協会の川上理事長とバッタリ遭遇。
「何かオモロイ話題ありませんか?」と尋ねたところ、「こんな話知ってる?」と利晶の杜の壁面に貼ってある堺の年表に
「これ!これ!1664年8月、戎島が出現する。て書いてあるやろ」
「出現やで!突然現れたんや!」これ一度調べてみたらどう?
「絶対理事長いろんな情報を持っていて、私がどこまで調べることができるかテストするんでしょ~」と言いながら、おもしろそうなので調べてみました。
調べるところと言えば図書館。
中央図書館の郷土史の担当の方に関連しそうな本を探してもらったり、知ってそうな方々にご協力いただいて・・・
結果的に伝説のような話しか出てきませんでした。
まとめますと
1664年は大和川の付け替え工事(1704年)以前ですので、石津川や木津川から流れ込んだ土砂が堆積してできた寄洲が台風の高潮で急激に盛り上がって姿を現したという事らしいです。
この辺りは以前より神楽洲と言って船頭さんを困らせていたそうです。
地震などの地殻変動で盛り上がったのか?高潮で盛り上がったのか?はわかりませんが、堆積した土砂が戎島を作ったんですね。
そして、その年の11月に大きな亀が現れ3日で死んだので村人が手あつく葬って島の名前を「亀島」としたそうです。
ところがその2年後寛文6年の冬にこの浜で戎様の石像を発見!村人が戎社を建立、島の名前を「戎島」と改めました。
その2年後寛文8年には芝居小屋や芝居茶屋ができ料亭や旅宿ができてきて、堺の歓楽街へと発展していったそうです。
堺利晶の杜の床面にある旧堺市の地図には、戎島で発見された戎様を祀った戎社が描かれています。
しかし現在この場所には戎神社はありませんよね。
どうなったのかと思ったら・・・
昭和26年に今の堺戎(菅原神社)に移転合併されたのでした。
もし、村人が戎様を見つけなかったら戎島町1丁ではなく亀島町1丁だったかもね!
藤岡