takaraya

堺の母なる川と言えば・・・

「大和川とちゃいまっせ!石津川でっせ!」

大和川は江戸時代(1704年)に付け替えられて現在の堺市と大阪市の境の位置になりました。
それによって大量の土砂が堺港に流入し港としての機能を失ってしまったのです。

という事からも、大和川は堺の母なる川とは言えません。

堺と言えば、港を中心にした中世海外交易都市ばかりに注目されますが、それよりずっとずっと前の時代の内陸部の歴史を考えると石津川が大きな役割を果たしてるのです。
世界4大文明もそうですが、河川を中心に人が生活し文明、文化が発展してきたのです。

下の図をご覧ください。

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石津川とその支流が如何に堺市を潤し深くかかわっているのかがおわかりになるでしょ。

縄文時代~弥生時代にかけて現在の堺市において水田開発を行い人々が定住して生活を営み始めたのも石津川の中流~下流域だったそうです。
その痕跡が四ツ池遺跡(現浜寺中学校周辺)なのです。
農地がどんどん広がり区画整理されて行きました。

その時代は現在の堺区の発展は未だありません。(そう!堺は中区~西区のほうが先に栄えたんですよ~)

そして5世紀古墳時代に。

石津川の名前

石津川ってなんで「石津川」っていうか知ってますか?

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中井先生から、この説明を聞いたときは「なるほど!」と思わず声が出ました。

5世紀・・・その時代はトラックなどがありません。
牛や馬では大きな物が運べません。
物流の要は水運だったのです。

この時代に、船で運んだ大きな物って・・・いったい何だったのでしょう?

実は、古墳を造成するための石なのです。
百舌鳥古墳群を作るために兵庫県から石を切り出し大きな船で堺まで来て、その後小さい船に積み替えて石津川で内陸に運んだのです。

だから・・・「石津」なんです。

そして古市古墳群を作るのに利用した川が・・・「石川」なんですね~。

「どっちも”石”がついてるやろ~!」と中井先生。

「なるほど」でしょ。

石津川の「石」とは古墳に積まれた石だったのですね。

ところで、石を積んだ船が川下から川上に向かって上るって大変だったでしょうね。
どうしたのか?と言うと、綱をつけて川辺から引っぱったそうです。

そして、その時代の石津川上流域は須恵器の生産拠点でした。
そこで作られた須恵器は石津川を下って全国に運ばれたそうです。(支流の陶器川ですね)

江戸時代になると、綿の生産が始まりました。
そして織物、和晒し、染色産業が発展したのです。


これは中井先生の話ではありません・・・

「なになさってるのですか!」を堺の言葉に変換すると・・・
「なにさらしてけつかんねん!」となりますが・・・(ちょっと下品?)
この「なにさらす」の「さらす」は「晒す」から来てるって知ってました?
石津周辺で石津川を利用して綿布を白くする晒屋さんがたくさんありました。
その晒屋さんが石津川を我が物顔で使うのを見て「勝手にさらせ」という言葉が誕生したそうです。
石津川がだんだん汚くなるにつれて晒屋さんも上流に移動し、今では毛穴町周辺に残ってるんですね。


石津川の別名と与謝野晶子

紀州街道が石津川を渡る橋の名は「太陽橋」
雄大な名前の橋ですね。

太陽橋マップ

明治の初めにはすでに「太陽橋」と言われていたそうです。
なぜそんな名前がついたのか?現地に行けばわかると中井先生が言うので早速行ってきました。

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確かに・・・この橋に立てば東から日が昇り、お昼には真上にそして西に沈むまで一日中お日様が見えます。

そして現地に行くと南側の橋のたもとに古い太陽橋の欄干と標柱が保存されています。

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それを見ると・・・石津川の別名が刻まれています。

その名は「十寸鏡川」

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その読み方には、いろんな説がありますが中井先生は、そのまんま「じゅっすんかがみがわ」と読むと思うと言ってます。

中井先生の考察

太陽橋の位置は石津川の河口近くです。
今では全く見られませんが、昔はこの辺りには海の引き潮の時に潮溜まりになり、その水面が鏡のようになったようです。
その潮溜まりが現れるのは一寸(ちょっと)でもなく常時でもない。
だから「十寸鏡川」としゃれたのではないだろうかというのが中井先生の説です。

その様子は明治36年に編纂された「堺大観」に掲載された写真を見るとよく解ります。

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確かに橋の上から自分の姿を映しているような人がいますよね。

ここで与謝野晶子さん登場

与謝野晶子が若いころは阪堺電鉄は未開通でした。
晶子さんのお家は名家でお金持ち。
浜寺公園には何軒かの料亭が立ち並び晶子さんも時々浜寺公園に遊びに行ったと言われています。
電車が無いので交通手段は人力車。
宿院から浜寺へ人力車で行くには紀州街道ですね。
その途中有るのが太陽橋です。

中井先生が浜寺公園にあった料理旅館のパンフレットを探し当て、内容を読んでみると

「囲碁将棋、俳句歌会にお使いください。 そして粋なお方と二人連れでもいらっしゃい!」

と書いてあったそうです。

晶子が鉄幹との逢引に浜寺公園の料理旅館に向かう道中
中間地点の石津川で休憩した時に、太陽橋の上から川面に映した自分の姿に見とれて詠んだ歌が

「人とわれ おなじ十九のおもかげを うつせし水よ 石津川の流れ」

与謝野晶子の本名は「鳳志よう」(ほうしよう)
ペンネームが晶子です。晶子は本名の「しよう」から取った言われています。

実は、晶子は17~18の頃から3つほどペンネームを持っていました。
しかし、20歳ころからは晶子に統一されてきたと言われています。
そして、19歳に太陽橋で詠んだこの歌

自我に目覚めた若き晶子が太陽橋から南の空を見て、日は東から上り西へ沈む様を表した「晶」を自分の「しょう」に当てたのではないか?
というのが中井先生の考察です。

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石津川と与謝野晶子がこのように繋がるのか・・・

中井先生のお話しって、すごくオモシロい!


ルネッツ・タカラヤおもしろ堺歴史サロン

けやき通りにあるルネッツ・タカラヤさんでは2ヶ月に1度、中井正弘先生による「おもしろ堺歴史サロン」を開催しています。

堺の歴史をオモシロおかしく勉強できますので、興味のある方はご参加ください。

次回は8月27日(土) 午後1時30分から約1時間

テーマ:堺の海と船

参加希望の方はお電話で
電話:072-232-2814
ルネッツ・タカラヤ

堺市堺区 南三国ヶ丘町4-1-1

定員:15名
参加費:500円(飲み物代別)

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ルネッツ・タカラヤさんは外から見れば眼鏡屋さん、中に入ると喫茶店+眼鏡屋さんというオモロイお店です。

元々メガネを買いに来るお客さんに挽きたてコーヒーを出していたところ「こんなに美味しいコーヒーを出すなら喫茶店をすれば」というお客さんからの要望で喫茶店&眼鏡屋さんのルネッツ・タカラヤさんが誕生したんだそうです。

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地図

堺市堺区 南三国ヶ丘町4-1-1

藤岡

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