やわらか~い肉桂餅

みなさん堺のお菓子っていうと何を思い浮かべますか?八百源

堺には横綱級の美味しい和菓子が名を連ねます。

そんな中で今回は八百源さんの肉桂餅(にっき餅)を紹介します。

全国のみなさん、ぜひぜひ食べてください。
上品でほんとに美味しいんです。

何ともいえない柔らかいお餅に包まれたこしあんが絶妙のバランスなんです。

肉桂餅一見・・・こんなチビッコいのが1個200円 「たか~」と思うかも?しれません。

しかし、口に入れたら至福のひと時が始まります。

今回ご主人の岡田巧さんから肉桂餅についてしっかり説明を聞いたので、この値段も納得です。

 

 

肉桂餅

千利休の時代の茶菓子と言えば現在のような和菓子ではなく栗や柿、麩菓子などと一緒にお茶をいただいたそうです。

現在の和菓子は江戸時代に京都で完成したそうで肉桂餅は文化文政の時代にできたと伝わっているそうです。
その頃の堺は貿易港として外国の文化の入口でした。

日本に肉桂が薬草として伝わり、そのままでは食べにくいので甘く味付けして餅に混ぜ込んだ「薬菓子」がその始まりだと言われています。

味の決め手となるニッキは中国、東南アジアから季節と産地を厳選して仕入れているそうです。
このニッキの味は舌に覚えこまされて伝承されてきたので、ご主人の味覚には肉桂餅には、この味のニッキというのが染みついてるんでしょうね。

肉桂餅のニッキとはニッキ

西洋で言うとシナモン
漢方薬で言うと桂枝・桂皮(けいし・けいひ)と呼ばれます。

クスノキ科の植物の若枝を乾燥させたもので
生薬としては、解熱、鎮静、鎮痙、抹消血管拡張、抗血栓、抗炎症、抗アレルギー、抗菌、利尿、健胃作用があり漢方薬として使われています。

八百源の肉桂餅

八百源社長ご主人は「絶対に真似ができない」と言い切ります。
独自の製法と言っても「ふつうはこんなことせんやろ~」というくらいめんどくさい工程を経てあのトローンとした何とも言えない“もち肌”ができるんですって。

その特徴は求肥生地に肉桂を混ぜ込んでいるのですが、求肥の製法、餡の炊き方、包み方も独自のもので代々伝わるメッチャ丁寧な作業があるそうです。

例えば餡の包みかたで言うと・・・一般的には餡玉を作って生地で包むのですが、肉桂餅の餡はすごく柔らかいですよね。

実はへらで餡をとって生地で包みこむんですって。
だから独特の柔らかさが生まれるらしいです。

八百源独自!曲げてはならない製法があり、それを継承した職人でなければ決して出せない風味と柔らかさ。
だから・・・和菓子職人なら同じようなものは作れるが、同じものは決してできないと自信をもって言い切るんですね。

老舗を守るとは

八百源さんは堺でも最も古い部類に入る老舗です。

堺の街は大阪夏の陣、第二次世界大戦で2度焼け野原になっているのでお店の歴史を調べる資料が全く残っていません。
ですから、八百源がどの時代からあったのかは定かではありません。

しかし、口伝えで6代前までは辿れるそうですので150年以上は受け継がれてきているのは間違いなさそうです。

老舗を守る苦労話などありますか?と聞いたところ・・・

「あるある!」と即答のご主人。
よっぽど御苦労なさったんでしょうね。

とにかく「肉桂餅」作りは大変な作業のようです。
今では、作業現場も空調が整い、機械に任せられるところは機械化したのでかなり改善できたそうですが、それまでは苛酷な労働環境の中での重労働。
体力勝負だったそうです。

八百源八百源さんのお店は何とも趣のあるお店です。
店先にはお花が生けられていて、そのセンスが光ってます。

ひおじいさん

仮店舗が完成し営業再開したひお爺さんの笑顔

ご主人は「店を大きくするよりも、味の伝承が大事」と言います。
その言葉にはやはり、今まで代々受け継がれてきた「肉桂餅」を伝承するという責任感が感じられました。

先の大戦で焼け野原になって10年間商売ができなかった堺の町に、ひお爺さんが仮店舗を建てて商売を再開しました。

そして、お爺さん、お父さんと受け継がれ小学校の時からお店を手伝い始め、修業が始まったそうです。
生まれた時から老舗を守る運命。
親から・・・店を守ること、勉強することをきつく言われたそうです。

お店があるんだから勉強しなくてもいいのに・・・なんて思いますが、さすがご主人。

三国ヶ丘高校卒なんですって。スゴ~

商品開発にも熱心で、今ではカステラや水羊羹など新しい商品も増やしておられます。
どれもこれも美味しそうですね。

これからも、堺の銘菓「肉桂餅」を守り続けていってください。

八百源ホームページ

藤岡
藤岡