チンチン電車が大浜に
昔はチンチン電車(阪堺電車)が宿院で分かれて大浜まで行っていたって知ってますか?
年配の人にたずねると乗ったことある人もいるのですが、だんだん記憶から消えて当時のことをしっかりと話しできる人が少なくなってきているようです。
当時の堺駅、大浜周辺の南海電車、阪堺電車の状況を今の地図に描いてみました。
南海電車開業当初は堺駅の南側(現在のフェニックス通りと交差している位置)に龍神という駅があって堺で最も乗降客が多かったそうです。
海側には大浜の潮湯や、水族館、東側には宿院の繁華街、そして今は無き龍神遊郭と正に堺の繁栄の象徴。
大阪市内から来た阪堺電車が宿院で分かれて大浜公園や海水浴場まで伸びていたのです。
そして阪堺電車にも龍神駅があり、なんと南海電車の上を阪堺電車が走っていたそうです。
また、今は埋め立てられてありませんが、国道26号線の下あたりに旭川という川があり、そこに旭橋という橋が架かっていました。
その痕跡を見たい方は、堺駅の南側、川を渡って海側に少し歩くと堺事件の碑があります。その横に旭橋の欄干だけが残っています。
この旭橋と旭川の「アサヒ」が今の「アサヒビール」の由来だって知ってました?
そうなんですよ~アサヒビールのホームページをご覧ください。
その後、龍神周辺が寂れ堺駅と龍神駅を統合し堺駅となったのです。
龍神駅のなごりが今の堺駅南口なんですね。
【おまけ】
阪和線も開業当初は私鉄だったそうです。
昭和5年に開業名前は阪和電鉄、競合相手は南海電鉄。
どちらも大阪から和歌山に行く電車ですので、ものすごい競争だったそうです。
当時難波から和歌山まで南海電車特急で1時間15分
阪和鉄道は45分で時速120km/h当時は日本最速の鉄道だったそうです。
しかし乗り心地は最悪で「ゆれるガタガタ電車」といったそうです。
ルネッツタカラヤ・おもしろ歴史サロン3月度のこぼれ話