村上義光 錦奪還
大塔宮護良親王は熊野をめざす途中の十津川で、敵方の土豪である芋瀬庄司にその行く手を阻まれた。
大塔宮護良親王一行は通行を乞うたが芋瀬庄司は「幕府へ面子を立てる為、通すかわりに名のある臣を一人二人、もしくは一戦交えた事を示すために御旗を寄越せ」と難題を言ってきた。
そこで赤松則祐(アカマツソクユウ)が「主君の危機に臨んでは自らの命を投げ出す、これこそが臣下の道。
殿下の為にこの則祐、敵の手に渡ったかてかまいません」と名乗り出るが平賀三郎が「宮の御為にも今は有能な武将は一人たりとも失ってはいけない。
御旗を渡して激闘の末に逃げ延びた事にすれば、芋瀬庄司の立場も守れる」と言い、大事な錦の御旗を芋瀬庄司に渡し、その場を乗り越えて熊野に向かった。
遅れて村上義光も芋瀬庄司に出くわした時、そこに錦の御旗が芋瀬の下人の手に握られているのを見て義光は激昂した。「帝の御子に対して、貴様ごときがなんということを!」と見事旗を奪い返して、大塔宮護良親王一行を追いかけ無事に追いついた。
太平記地車には・村上義光錦奪還が良く見受けられますが、わが町の枡合では、村上義光に投げられた人物が、宙を舞っているように細工されてます。
この発想。さすがだな~!と思います。
彫り物担当:奥淳さん