本城先生は、堺市の私の「ギャラリーいろはに」に一番多く来て下さった方です。

21年のお付き合いになります。
ほんとうに楽しく面白い方で、同時に深い洞察力と包容力を持っておられました。
愛さずにいられないお人柄でした。
先生がお母様から言われた「言いたいことは明日(あした)言え。」と「お金のことを考えて仕事をするな。」という教えは、私も肝に銘じています。

 先生は、水野鍛錬所に刃物職人として弟子入りし、陶芸も長く続けて「火なぶり人生」と 本人が言う人生をおくられました。
お話があまりに豊かなので、私一人で聞いているのはもったいないと、ビデオ撮影をお願いしました。

このインタビュービデオが発表されないまま、2021年のコロナの夏に先生は亡くなってしまわれました。
刃物の街堺で鍛冶職人として、また陶芸家として生きた素敵な人物がいたことを一人でも多くの方に知って頂きたいと願っています。 

ギャラリーいろはに:北野庸子


堺大空襲

堺大空襲がどんな状況だったのか、貴重な体験談です。

降り注ぐ焼夷弾の恐怖、龍神遊郭が燃え遊女たちは・・・

包丁職人の話

法隆寺修復の際に職人として