開口神社境内 「鳥井駒吉建立の石碑」の移動に関しての経過報告
皆さん堺の偉人「鳥井駒吉」という人物のこと知ってますか?

鳥井駒吉さんは、あのアサヒビールの創業者なのです。
そして南海電鉄の発起人となり2代目の社長となった人物です。
方違神社に行くと鳥居をくぐって右側に「三国丘」と刻まれた石碑があります。
この石碑は鳥井駒吉さんが建てた石碑で裏には自身の歌が刻まれています。
その鳥井駒吉さんの曾孫である鳥井洋さん(鳥井駒吉の会代表)が、この度omoroiさかいに加わり堺の人に鳥井駒吉について知っていただきたいと活動をされています。
2018年(平成30年)年末、鳥井洋さんが山之口プラザで観光ボランティア協会の柿澤さんに、「駒吉の石碑が、開口神社の由来などが書かれてあるのに、雑草の中で皆の目に触れることが滅多にない。」と話をしていたら、偶然そこに来たギャラリーいろはにの北野さんが「あの鳥井駒吉建立と書かれた石碑が、雑草や木や石に囲まれて誰の目にも触れない。南の中央付近に移動してもらえないものか。」と全く同じことを言ったのです。
鳥井駒吉さんがこの3人を引き合わせたのでしょうかね?
すかさず、柿澤さんが「駒吉の曾孫さんがそこにおられますよ。」というご縁で、鳥井さんと、北野さんとが知り合いになったのです。
そんなことで、開口神社の宮司、三上さんに石碑を移動してほしいという希望を伝えに行きました。
そして2019年(令和元年)2月に鳥井洋さんを代表とし、観光ボランティア協会有志、堺山之口商店街まちづくり会社、ギャラリーいろはにを中心に「鳥井駒吉の会」を発足ということになりました。
まさにgoodタイミング!
同年9月に、開口神社の天皇陛下御即位奉祝記念事業の一つとして、石碑が移動されることになったのです。
それは2018年9月の超大型台風により壊滅状態に陥った豊竹稲荷神社社殿を新築することと重なり、その奥にあった石碑を南の正面に移すことになったわけで、鳥井さんたちの思いが実現したのです。
完成予想図

元々は、神社正面の大鳥居の横、全く人目につかない位置に立っていた石碑が南側に設置されました。
その重量は地上に出ている石碑部分を1とすると、地下の基礎部分は4~5倍もあったそうです。
2020年(令和2年)10月には石碑の移動は済み、あとは厚い志のある方々の奉賛金によって、石碑の前に置く石柱に名前を彫る段階にまでたどり着きました。

しかし、豊竹稲荷神社の工事はまだまだ掛かりそうで、宮司の三上さんは、2021年(令和3年)3月23日の初午祭を、お稲荷さんに御霊を入れて初参りにしたいと仰っています。
それに伴って石碑のお披露目をする計画だそうです。