毎回スゴクおもしろい中井正弘先生によるルネッツ・タカラヤおもしろ歴史サロン
第18回:8月26日の話題は「堺の三橋めぐり・翁橋・極楽橋・太陽橋」でした。
極楽橋と太陽橋は以前に紹介していますので今回は翁橋のお話を書きます。
みなさんは「翁橋」というとどんな絵が浮かびますか?
飲み屋さん、夜の街、歓楽街・・・というのが多いのではないでしょうか・・・
この「翁橋」って元々は橋の名前なのです。
昔の地図を見てみましょう。(さかい利晶の杜の床面の地図)
ちょうど今の翁橋町の所の土居川に架かっていました。
この橋が架けられたのは安政2年(1855年)です。
しかし・・・
昭和43年阪神高速堺線の工事に伴い土居川が埋められて橋は全て撤去されたのです。
そんな中で極楽橋は土居川公園に保存されています。
そして翁橋は、破壊を惜しんだミノルタカメラ株式会社堺工場(当時)が敷地内に引き取り復元保存してくれたのです。
当時の翁橋 (画像提供:コニカミノルタ株式会社)
今でも大仙西町にあるコニカミノルタ株式会社堺サイトさんにあると聞き、さっそく行ってきました。
この翁橋の由来ですが、その前に・・・
堺についての基礎知識(^^)/
堺は大小路を挟んで北側が摂津の国、南側が和泉の国でした。
その国境に位置する町なので「さかい」という名がついたと言われています。
そしてそこから少し東に行くと河内の国が有り、3つの国が交わる所が三国ヶ丘という訳です。
大小路を挟んで北側(摂津の国)を「北庄」、南側(和泉の国)を「南庄」と言われていました。
ですので、大小路を挟んで国が違ったのです。
このことが延々今でもいろんなところで見え隠れするのが今の堺旧市です。
参考ページ:江戸時代堺の町に時を告げたのは
昔の堺には大金持ちがいっぱいいました。
実は翁橋を作る2年前に「極楽橋」が北庄の町方の普請で架けられたのです。
参考ページ:極楽橋と地獄橋
その2年後に南庄の町方が「翁橋」を架けたのです。
「北庄がごっつええ橋作りよった!ほんならこっちも作ったろか!」という話があったのか?なかったのか?
知りませんが、とにかく立派な橋ができたのです。
極楽橋は・・・人生を終えた人が墓場に向かう野辺送りの行列が渡る橋
翁橋はと言いますと・・・
翁橋のたもとには標柱石が立っていました。
これには
右 家原文珠道 左 万代(もず)八幡宮・にわ谷妙見
と刻まれています。
この標柱石から中井先生が推察
- 百舌鳥八幡宮にお宮参り
- 賢く育つように家原の文珠さんにお参り
- 災難を除き、長寿をもたらす妙見さん
「子供が立派に育って、翁になるまで長寿の人生が送れるように親が願いを込めた参詣道へ続く橋」という事でその名をつけたのではないだろうか・・・という事でした。
現在その標柱石は
当時翁橋があったところの土居川公園にポツンと立っています。
その裏には
「うちわたす 市のゆききの 石橋の翁の名こそ くちざらめやも」
翁橋世話人 荒樫善五郎 池田屋喜平次 天野屋徳兵衛
と刻まれています。
確かに町名として翁橋の名は残りましたが、翁橋の名に込めた先人の思いは終わってしまったようですね。
翁橋にしても、極楽橋にしても、すごく立派な石橋です。
いつの日か、環濠が復活してこの2つの橋が元の位置に戻り、大勢の観光客が往き来することを夢見ています。
標柱石の場所
ルネッツ・タカラヤおもしろ堺歴史サロン
けやき通りにあるルネッツ・タカラヤさんでは2ヶ月に1度、中井正弘先生による「おもしろ堺歴史サロン」を開催しています。
堺の歴史をオモシロおかしく勉強できます。
興味のある方はお気軽にご参加ください。
次回は10月28日(土) 午後1時30分から約1時間
テーマ:竹内街道と竹内峠
参加希望の方はお電話で
電話:072-232-2814
ルネッツ・タカラヤ
堺市堺区 南三国ヶ丘町4-1-1
定員:15名
参加費:500円(飲み物代別)
ルネッツ・タカラヤさんは外から見れば眼鏡屋さん、中に入ると喫茶店+眼鏡屋さんというオモロイお店です。
元々メガネを買いに来るお客さんに挽きたてコーヒーを出していたところ「こんなに美味しいコーヒーを出すなら喫茶店をすれば」というお客さんからの要望で喫茶店&眼鏡屋さんのルネッツ・タカラヤさんが誕生したんだそうです。
地図
