3月30日~5月12日(日)
堺市博物館で「堺と芝居」と言う企画展を開催しています。

この企画展の担当者の渋谷(しぶたに)学芸員が案内してくださいました。

大坂夏の陣で豊臣方によって堺の街は焼かれました。

その後江戸幕府が堺を復興し現在の堺区旧市街地の骨格が出来上がりました。
堺の街が栄えてゆく中で芸術、芸能、娯楽も栄え堺の街が華やいでいったのです。

芝居小屋

まず最初に芝居小屋ができたのは戎島でした。
堆積した土砂が陸地となって1664年に出現したと言われています。
その地で戎像が見つかってお祀りしたことから戎島と名付けられました。

詳しくはこのページ

もうひとつの芝居小屋は鎰町(かぎのちょう・かぎまち)現在の出島橋(南半町西3丁)にありました。
その後、鎰町の芝居小屋が「大寺(現開口神社)」に移転、戎島に芝居小屋が「宿院」に移転し、 天保14(1843)年に新地(現在の竜神橋町付近)に移転しました。
一方、宿院界隈は繁華街として栄え、のちに映画館となる卯の日座もありました。


写真:大寺さん(開口神社)

【展示の中にある掛け軸に注目】

この掛け軸の絵は現在の大町東1丁で木綿卸商家に生まれた岸谷勢蔵さん(1899~1980)が描いた堺の景色と生活風景の絵です。
堺の中心地の情景がキレイに描かれています。

チンチン電車が走るのは今の大道筋で電車が描かれているところで大浜に向かう線路が分岐されていますね。
電車の後ろにある鳥居は宿院頓宮の鳥居でその道路は現在のフェニックス通りです。

二人の役者

今回の展示では2人の役者さんを大きく取り上げています。

一人は二代目中村富十郎
この人は大坂生まれの人気役者だったのですが、天保の改革のぜいたく禁止令により大坂での興行を禁ぜられ堺に拠点を移して活動した役者さんです。

そしてもう一人は、曾我廼家五郎
今回の展示ではその曾我廼家五郎を大きなスペースを割いて紹介しています。
この人は歌舞伎の世界から飛び出し新しい形の笑わせる芝居を作った人でそれが現在の「松竹新喜劇」の源流となっています。

堺の芸能・演劇人

今回の展示では、高三隆達、食満南北2人の文化人を紹介しています。
高三隆達は、隆達節の創始者で小歌の祖
食満南北は、歌舞伎の台本を始め小説・川柳・書画など多くの作品を残し、上方文化に貢献した人です。

今回の展示は、江戸時代頃の堺の華やいだ情景を想像できる展示です。
ぜひ足を運んでみてください。

企画展「堺と芝居―興行の場とゆかりの人々―」