堺の曽呂利と言えば「大鏡」 堺の人なら一度は食べたことがある有名な和菓子です。
ふっくらとした甘~く香る皮と白餡のバランスが絶妙なんです。 ホント美味しいですよね。
さて、曽呂利さんの「曽呂利」って曽呂利新左衛門という人の名前だという事知ってました?
曽呂利さんの包装紙に描かれている、豊臣秀吉に耳打ちしている人が、曽呂利新左衛門さんなんです。
耳打ちではなかった
包装紙の画は耳打ちではなく、耳の匂いを嗅いでたんですね。
耳の匂い?なぜ
曽呂利新左衛門さんという人はとんちの名人だったそうです。
ある時、曽呂利新左衛門に秀吉が、「褒美として何か欲しい物はあるか?」と言うと
「ご褒美はいりませんので、いついかなる時でも、殿下の耳の匂いを嗅がせてください。」 と、お願いをしたそうです。
秀吉は「変なことを言うなあ」と思いながらも承諾すると その日から、毎日秀吉の耳の匂いを嗅ぐ新左衛門・・・
そのタイミングは決まって諸大名たちが秀吉を訪ねて来ている時です。
何やら、訪問中の大名の顔を見ながらクンクンクン匂いを嗅いでいると・・・ 何も知らない訪問者から見れば、何やら新左衛門が、自分の事について秀吉にコソコソと耳打ちして、報告しているように見えるのです。
それ以来諸大名たちは、何かと新左衛門の機嫌をとるようになり、彼のもとには贈り物たくさん届くようになったというお話です。
曽呂利さんの包装紙の図柄にはそんな話ががあったんですね。
他にも曽呂利新左衛門さんのとんち話はたくさんあります。
曽呂利新左衛門さんのとんち話をこのページに載せてゆきますのでお楽しみに。
曽呂利新左衛門とんち話
「火」という言葉
秀吉が伏見城を築いた時、「火」という言葉を使った者は罰するという命令を出しました。
伏見城は、水の便が悪く、火災に注意しなければならないことがその理由でした。
しかし、「火」という言葉を禁じられたのでは、安心してものも言えないと人々はたいへん困りました。
そこで曽呂利は、太閤様に「火」という言葉を使わせてやろう。そうすれば、この命令がどんなに無茶なものかわかるだろうと
考えました。
「曽呂利、面白い話はないか」
ある日、秀吉が話しかけてきました。
「はい、とても珍しい釜を見つけました。何でつくってあったと思われますか?」
「鉄に決まっているではないか、それとも金か?」
「いいえ、木でつくってあるのです」
「そんな馬鹿な。木でつくった釜など、火にかけられないではないか」
「殿下、いまなんと申されました?」
「…むむ」
「下々の者は、いま殿下が仰せられた言葉にそれは気をつかっ
ております。しかし、うかつに言ってしまわないとも限りませ
ん。言ったから火事になるというわけではありません…」
曽呂利のたくみな話術によって、秀吉の無茶な命令は、それ以後とり消されてしまいました。
大きな歌
ある日、大阪城の中でいちばん大きな広間に諸大名が集まりました。曽呂利も、その席に加わっていました。
一段高い所から、秀吉がみんなを見渡して言いました。
「今日はひとつ、みんなでできるだけ大きな歌をつくってみよう。誰がいちばん大きな歌をつくるか、さあ、はじめよう」
まず家康が指名されました。
家康は、しばらく考えてから歌いはじめました。
「武蔵野に 咲きはじまりし梅の花天地にひびく鴬の声」
自分の領地の武蔵野(現在の関東平野の一部)の大きさを歌いました。
「なるほど、これは大きい。それでは次に前田殿はどうじゃ」
前田利家が、やはり少し考えてから歌いました。
「富士山を 枕になして 寝てみれば 足は堅田の 浦にこそあれ」(堅田は現在の滋賀県大津市の地名)
「なるほど、これも大きいぞ。次は誰じゃ」
「それでは私のをお聞かせしましょ う」 と上杉景勝が言いました。
「須弥山に 腰うちかけて 大空を 笠にかぶれど 耳は隠れず」(須弥山は仏教で世界の中心にそびえる高い山)
一同から、その大きな着想をほめそやす声が聞こえました。
今度は、蒲生氏郷が「いやいや私の方が大きい」と言って歌いはじめました。
「須弥山に 腰うちかけし その人を まつ毛の先で 突き飛 ばしけり」
「これは、いちだんと大きいぞ」
秀吉が感心しました。そして「これ以上の大きな歌を誰かつくれる者はいるか、あったら遠慮なく申し出てみよ」
と言いました。すると、曽呂利が進み出て「大きさでは、この私のがいちばん大きいと思います。お驚きになりませんように」
と答えて、おどけた声で歌い出しました。
「天と地を 団子に丸めて 手にのせて ぐっと飲めども 喉にさわらず」
みんなが、どっとわらいました。
一袋の米
ある年、堺の町に流行り病があり、米も不足して人々はおおいに困りました。
見かねた曽呂利が秀吉に申し出ました。
「殿下にお願いがございます。堺の町では米がなく、みんなが困っております。紙袋に一杯で結構ですから、米蔵の米を私にわけていただけないでしょうか?」
「たった一杯でいいのか?」
「はい、一杯で結構です」
曽呂利はそう言って、秀吉からの許しを得ました。
数日後・・・。
「殿下!大変です。米蔵が…」
顔色を変えた家臣が、秀吉の所へやってきました。
秀吉が米蔵へかけつけてみると、なんと大きな紙袋で米蔵が包まれて、その横で曽呂利がニコニコしています。
約束通り紙袋に一杯、つまり米蔵の米はみんな堺の町へ太閤様の施しとして運び出され、おかげで秀吉の人気はぐんと上がったとか。
曽呂利創業者

曽呂利創業者
日下 義臣氏(くさかよしおみ)
先代の日下義臣氏の家が、堺区市之町東にあった曽呂利新左衛門さんの屋敷跡にあったことから「曽呂利」という屋号で和菓子屋を開業し、銘菓「大鏡」が大ヒット商品となりました。
ですから先代さんは、曽呂利新左衛門さんへの感謝をこめ1年365日この風貌で生活なさっていたそうです。
曽呂利新左衛門について
本名は杉本甚右衛門、和泉国大鳥郡生まれ
刀の鞘師、茶の湯を好み、和歌や狂歌が得意な人
豊臣秀吉のお伽衆の一人として、そのとんち・滑稽の才は数々の逸話とともに「堺鑑」「甲子夜話」「和泉名所図絵」などの書物に残されています。
生年未詳。没年は「堺市史」によれば、慶長8年(1603)9月22日
しかし、その墓碑の所在は不明のため、曽呂利創業者(先代社長)が、三百五十回忌にあたる昭初31年9月に、堺市中之町東四丁の妙法寺に於いて、法要を営み、境内に「妙法曽呂利宗拾居士」の記念碑を建立。
また同市之町東四丁には、屋敷址を示す石柱が建てられています。
曽呂利さんの人気新商品
和三盆クッキー
フランス産のバター・小麦に、最高級の和三盆糖を合わせた、和菓子屋ならではの個性あふれるクッキー。 しかし、クッキーと呼ぶにはもったいないすごく上品な味わいのお菓子です。 口の中でふわ~っと甘さが広がります。 1袋:702円
そロール
和菓子の技術を駆使し、使用材料にも徹底的にこだわったロールケーキです。 スポンジの甘みには氷砂糖とフランス製蜂蜜だけを使用。 生クリームはタカナシ乳業のものを使い、丹波大納言と氷砂糖を合わせてつぶつぶ感を残した餡 膨張材・乳化材等の添加物不使用です。 一度食べたら納得の大好評商品だそうです。 1本:1,728円
お店の装飾品へのこだわり
店頭に置くものは全て本物であるべき!というのがご主人のこだわり、だからお店の装飾品も逸品が置かれています。 お店に行ったら、ぜひご注目を。 本店
ガラス作家 藤田 喬平の 手吹き 浅葱鉢、洋画家 中川 一政の金魚
北野田店 絹谷幸二の赤富士、浦口雅行の青磁の花瓶、近藤悠三の皿(人間国宝)、上村淳の四季の鳥
上野芝店 鈴木 蔵 志野焼陶版(人間国宝) 、熊谷 守一(洋画家)の四季の版画
曽呂利さんは曽呂利新左衛門の名を借りて商いをさせていただいてきたのでその感謝をこめて350回忌の法要を行ったそうです。 その時の記念に造った湊焼のお皿が飾られています。
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