江戸時代に若いカップルがデートするのにどのようにして待ち合わせをしたと思いますか?
という話からスタートした、第10回ルネッツタカラヤ「おもしろ堺歴史サロン」
講師は堺地域史研究家の中井正弘先生。
時計を持っていない江戸時代に「どこどこで何時に会いましょう」は通用しない。
では、どのようにして時刻を知ったのか?
という話の前に・・・
今と江戸時代とは時刻のシステムが全く違ったらしいです。
江戸時代の時刻は
今の時計は1日24時間で1時間は60分、1分は60秒ですよね。
この原則が江戸時代は全く違ったって知ってました?
ちょっとややこしいですが、下の図を見てください
時を表す呼び方は、十二支と数字が使われました。
今で言う夜中の12時を「九つ」として8、7、6、5、4と下がって正午が「9つ」に戻るそしてまた8,7,6,5,4となって1日だという事です。
そして、これからが今の時計と違うのですが、日の出、日の入りが「6つ」となります。
ですから、夏と冬、夜と昼では、それぞれの時間が変わってくるんです。
1日を12に分けているので、春分の日、秋分の日のように昼と夜の時間が同じ日は、今と同じ1刻(いっとき)は2時間ですが、夏は昼間の1刻(いっとき)は長く、夜は短くなります。
江戸時代の時刻
九つ(夜中)・・・北斗七星の位置を基準にしたそうです。
明け六つ・・・日の出
九つ(正午)・・・太陽の南中
暮れ六つ・・・日の入り
では、その間の時刻はどのように知ったのでしょう?
それが、お寺の鐘なんです。
お寺では線香で時間を計り(線香時計)鐘をついて地域の人々に時を知らせたんだそうです。
では、堺の町に時を知らせた鐘はどこのお寺だったのでしょうか?
その昔、堺は大小路より北側は「摂津の国」南側は「和泉の国」でした。
摂津の国・・・常楽寺(現在の菅原神社)
和泉の国・・・念仏寺(現在の開口神社)大寺さん
が時を告げていたそうです。
そして、明治になって神仏が分離されたことで、それぞれのお寺は移転ました。
その念仏寺にあった鐘が現在本願寺堺別院に吊り下げられている鐘だそうです。
この鐘が江戸時代は堺の時報だったんですね。
堺市最大の木造建築・本願寺堺別院
今日のなるほど納得
その①
上の時計の図をご覧ください。
まず、時を表す干支
子、丑、寅・・・正午が午ですよね。
今の午前、午後というのは、午の刻の前と後という事だそうです。
その②
「3時のおやつ」って言いますよね。
この「おやつ」っていうのは「8刻」だそうです。そういえば「8刻」はだいたい14時ですね。
ルネッツ・タカラヤおもしろ堺歴史サロン
けやき通りにあるルネッツ・タカラヤさんでは2ヶ月に1度、中井正弘先生による「おもしろ堺歴史サロン」を開催しています。
堺の歴史をオモシロおかしく勉強できますので、興味のある方はご参加ください。
次回は
3月26日(土) 午後1時30分から約1時間
参加希望の方はお電話で
電話:072-232-2814
ルネッツ・タカラヤ
定員:15名
参加費:500円(飲み物代別)
ルネッツ・タカラヤさんは外から見れば眼鏡屋さん、中に入ると喫茶店+眼鏡屋さんというオモロイお店です。
元々メガネを買いに来るお客さんに挽きたてコーヒーを出していたところ「こんなに美味しいコーヒーを出すなら喫茶店をすれば」というお客さんからの要望で喫茶店&眼鏡屋さんのルネッツ・タカラヤさんが誕生したんだそうです。
堺市堺区 南三国ヶ丘町4-1-1
地図
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